迷ったら「かっこいい」ほうへ
この動画を見て、恐れ多いですが
めちゃくちゃ共感しました。
なぜなら、「かっこいい大人になりたい」
という想いは、僕の根底にある、
色濃い価値観の一つだから。
かっこいい大人はかっこつけている大人。
みんなかっこいい大人でありたいと思うが、
大人になると「どうせ俺には無理だから」と
開き直ってしまう。
なぜなら、かっこつけるって
強がらなきゃいけないし、
労力がかかるから。
物心ついたころから、
一貫して思っていたこと。
「ダサい大人になりたくない」
僕と深く関わりがある人には
話したことがあると思うけど、
僕は幼少期に冤罪を受けたことがある。
その経験を通じて、
人間という生き物の弱さを知ったし、
大人も神とか仏ではなく、
一人の人間なんだなと思った。
そこから他人の言動の裏にある
下心に敏感になるようになった。
(結果、相手視点に立つという
癖がついたのは不幸中の幸い(笑))
中高の先生が嫌いだった。
全員が嫌いだったわけではない。
ただ、大した経験もしていないのに
偉そうに社会を知っているような口ぶりで
偉そうに説教してくるうざい人という
穿った見方をしていた。
知識だけでなく、経験に裏打ちされた
深い発言をする大人になりたいと思った。
小さいころから、親から口酸っぱく
「医者になれ。安定しているから。」
「公務員はいいぞ。クビにされないから。」
と言われていた。
いかに安定した収入を得るか?をテーマに
キャリアのアドバイスをされていた。
将来の選択肢を提示されてきた。
これをきっかけに、
お金だけを目的に仕事をする
大人にはなりたくないと思った。
今のヒューマンキャピタリストという
職業は、完全に中高の先生を
反面教師にして生まれたもの。
内定追加率0.3%の壁を突破し、
上場企業に新卒入社したけど、
起業家・独立という道を選んだのも、
「現代の松下村塾をつくる」という
ビジョンをテーマに仕事をし、
経験実績スキルをためようと思ったのも、
完全に親を反面教師にして生まれたもの。
次第に僕は子供の頃の感性で
「ダサい」と感じた大人の
逆になろうという意識が強かった。
かっこいい大人であり続ける。
18歳の頃の自分が、今の自分を見たときに
素直に「この大人かっこいいな」と
思える人生を生きているか?
ちゃんとかっこつけられているか?
これを定期的に振り返る。
ちゃんとメタ認知しようとする。
だめだなーと思ったらボトルネックを特定し、
解決策を実行する。
自分自身が一番、
自分自身を一生イケてると思えるように、
かっこつけて生きていきたいなと
改めて思いました。
かっこつけるのは疲れるし、
労力もかかるけど、
理想を現状に合わせるよりも、
現状を理想に追いつかせるほうが
僕は楽しいタイプです。
このまま文章を締めてしまうと
僕がただ共感した価値観について
経験をエビデンスに語っただけになっちゃう
ので、何かそれっぽいこと言います。
人生の分水嶺と思えるようなタイミングで、
どの選択肢を取ればいいかわからないとき。
こーゆーときに自分が心からかっこいいと
思えるほうを選んでみることを
おすすめします。
例えば就職・転職するときに
こっちの会社のほうがお金稼げそうとか、
将来性有りそうみたいな、
ファイナンス的な意思決定や合理性で、
ベターな選択肢というのはある程度
絞れると思います。
ただ、合理的な絞り込みが完了し、
残り2~3個の選択肢から一つを
選ぶというとき、僕はかっこいいほうを
選ぶようにしています。
なぜなら、人生の選択肢に○×のような、
正解・不正解みたいなことはないからです。
例えば、僕が会社を辞めて独立したのも、
そっちの方がかっこいいからです。
別に独立してからの勝算とかはありません。
独立して4年経ち、28歳になった僕が
未だにコンビニバイトをしていたら、
周りから「やっぱ上場企業に残ってたら
よかったのに~」と言われます。
逆に、今ある程度個人でフリーランスとして
動きながら会社の新規事業を準備することが
できている現状を周りが聞くと
「会社辞めてよかったね」と
言われると思います。
つまり、ある程度選択肢を絞り込むときは
メリットデメリットの比較等が大事ですが、
そこからは決めの問題。
正解そうな選択肢を取るのではなく、
自分が正解にしたいと思える選択肢を
取る方が大事ということです。
なぜなら、どの選択肢を取ったかよりも
取った選択肢でどれだけ努力できるか?
のほうがはるかに重要だからです。
というわけで、自分がかっこいいと思う
選択肢を取って、全力でかっこつけよう
というお話でした。
僕もまだまだなので、
粋な大人になれるように頑張ります。